性懲りなく詰まらん言い訳をする私

毎年やってくる母の日。この「母」という定義に私は毎年モヤモヤしてしまいます。いや、定義と言うほど大げさなものではないのですが。

母と言えば勿論母親な訳です。私から見れば私や妻を生んでくれた母親です。

勿論どちらの母にも感謝があります、というか感謝しかないので毎年プレゼントをしたり食事をしたりとしています。それで「今年も義務を果たせた」とホッとするのですが今年も肝心なことを忘れておりました。そうです、私の子ども達からすると私の妻は「母」なのです。

さぁ、参りました。どうしましょう。既にお店など開いている時間ではありません。いえ、コンビには当然開いていますがコンビニでプレゼントを買って来るなどいかにも間に合わせ的な感じがして気が進みません。

あぁ、どうしようとか思っていると子ども達が母親に肩叩き券やお手伝い券を渡しているではありませんか。や、やるじゃないか!子どもにしか使えないその手をしっかり行使している。やっぱり子どもはそうじゃないと。

いや、こうなったら大人だって手作りチケットを発行したって良いじゃないかと皿洗い券や洗濯物たたみ券を作ろうかと思ったのですが「そんな事チケットなしでもやりなさい」と言われそうなので思いとどめました。

その夜は何とか妻の視線をかわし会話も控えめにやり過ごし、翌日にケーキを買って早く帰宅し「まぁ、君は僕にとって母というより妻なんだけどね」とか素敵な言い訳をする事に。あぁ、そういえば、昨年も一昨年も同じ事をしたような気がするなぁ・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です